誰も読まないのにどうしてブログを書くの?
引用元:https://news.ycombinator.com/item?id=42992159
ブログで書くのは、色んなテーマでの信頼感を築くのにお金がかからない方法だよ。後で自分が書いたことにリンクを送ると役に立つし、読者の数より質が大事だと思う。質の高い読者と繋がるのが良いよね。
ゴルフについてブログを始めたのも、信頼性が大事だと思ったから。ゴルフメディアが企業の宣伝ばかりで嫌だったし、個人的な視点を書いてたら小さな読者層ができたんだ。大事なのは、自分の思いを伝えることだね。
人と話している時に、自分の書いたものを紹介することが多いよ。ブログは考えを整理するのにもいいし、評価される部分もある。書籍を書くのは大変だけど、ブログもそれなりに意味がある。
その時にブログを紹介するのは良くない気がする。他の話題を中断してまで宣伝されると、友達としての関係を疑うかも。大事なのは、流れを止めずに話を続けることだよ。
ブログの話をするなら、会話が終わってからやったほうがいいと思う。話が終わった後に紹介するのは良いけど、話の途中で言うのは避けるべきだね。
ニュアンスを掴みきれなかったかも。テーマについての話も十分できたら、もっと深い情報を共有するためにブログを紹介するのが良いと思う。
話の途中で自分の書いたものを持ち出すのは、講義みたいに感じちゃうよね。流れを止めずに、サラッと触れる程度にした方が良いと思う。
自分は二冊の本とたくさんのブログ記事を書いたけど、読んでくれる人は少なくても満足してるよ。その理由を書いたブログもある!
リンク教えてよ。プロフィールには何も無いじゃん。
おお、あんたが直してないChatGPT ascii2decの人か。
罪なことに、10年間で一瞬だけバズったことがあって、安いウェブホスティングが壊れたわ。
ちょっと完璧じゃない本の修正なんかを書くのはいいアイデアだね。
同意。ブログは数年後には経験や信頼性を証明するための記録になると思うよ。GenAIのゴミやSEO詐欺が蔓延する中でね。
履歴書にブログがあると嬉しいけど、他の部分がすでに印象的じゃないとあんまり覚えてないな。応募者のスキルをあらわすには不明瞭なことが多い。
それは読んでみればわかるよね。専門家と初心者の違いは、やっぱり内容でわかるし。
彼らがたくさん書いてるならわかるけど、最近の投稿が見つからないことが多いんだ。多くの人が初めはブログを書くけど、後に続かないことが多いよね。
多分他の要素も考えた方がいいけど、投稿数が多いとやっぱりいいと思うね。
埋め込み業界とは違うかもしれないけど、機械工学だとハードウェアのプロトタイピングは高いよね。
そんなの全然違うよ。カスタムPCBも中国から簡単に安く買えるし、電子プロジェクトは超安くできる。
四層基板は「適度に複雑」なんて言うほど難しくないよ。適度に複雑ってのは10~20層で、インピーダンス制御や埋め込みビアのあるようなのだと思う。確かに、15年前に比べて費用はかなり下がったけど、短納期での組立て付き基板はまだ数百、数千ドルかかるし、これはメカニカルな面も同じだよ。
公共のGitリポジトリのコミットを、自分がプログラミングできることの証明みたいに扱っているんだ。全く完璧じゃないけど、個人的な声で書かれたウェブサイトはそれを評価する要素の一つだよ。
自己ホストのブログサイトでの暗黒パターンは、ブログ記事をバックデートして将来のトレンドを予測できるように見せることだね。長い期間かけて書く必要はない。手早く数記事書いて、リンク付けすればとりあえず信用を築ける。
これについてはもっと良いタイムスタンプサービスが必要だよ。初期仕様を考えたけど、実装はまだできてない。
もし今日、12記事書いて、それを2021年から今日まで均等にバックデートして投稿したらどう思う?この前書いた日記って書いてからの突然の登場の理由になるし、嘘つきだとは言わないだろうね。
でも、やっぱりあなたは嘘つきだよ。指摘しなくてもそれを疑うのは正しいさ。
Bitcoinブロックチェーンに関する情報があるよ。
archive.orgみたいな第三者を使えば、ブログがクロールされていれば、所有者が削除しない限りは証拠になる。人気のブログで予測を披露しているのにその証拠が無いとちょっと怪しい。
人気があるなら、archive.orgやarchive.isには何らかの履歴が残っているはず。
RedditやHNに提出されたリンクは公開日を証明するのに役立つけど、内容を少し書き換えられちゃうんだよね。
記事の日時があっても、内容が変わってないとは限らないよね。
もし情報の真偽を確認したいなら、Waybackmachineとか使えばできるんじゃない?
なんか疑いを持たれる要素が多いよね。
Waybackmachineに突然現れた記事が10個もあったら、作者に説明求めようとは思わないな。それだけで信頼が下がって、次行くって感じ。
もし記事に日付が全然なかったらどうなるの?
2023年以前の経験が、今後の雇用にとって重要になるかもってずっと考えてる。
”今は誰でも大きなプロジェクトのポートフォリオを作れるよね”って言うけど、昔だって簡単にできたよ。自分の場合は、クライアント向けの新しいソフトウェア製品を開発してて、実際に確認できる連絡先がたくさんあったし。でもブログには時間も興味もないから書いてない。
誰かが意見をまとめたり、まとめる意思があるかは、その意見をどれだけ真剣に受けるかの指標になる。バラつきが少ない真剣な意見に時間を使えてるよ。
2007年から2013年まで個人ブログやってたんだけど、いくつかの記事は10万以上のビューを集めたりした。そこから少しだけ収入も得られたし、情報を共有する面白い経験だった。最近また新しいブログを作る予定だけど、今度は自分が興味あることを記録するつもり。
いくつかの記事は100K以上のビューがあったけど、1M超えたのは確かだね。それに関しては評価されてもいいと思う。
確かにそうだね、俺も結局はただの’誰も知らない人’だけど、たまにバイラルヒットはあるよ。
ブログの重要性については色々聞くけど、信頼性についての話は初めて聞いたよ。本当にありがとう。
結局は自己マーケティングだよね。目新しくはないと思う。
それを安易に考えるのは違うと思うな。仕事に関わることはマーケティングが多いし、特に自分のことを知られてないと危険だよ。
それもそうだね。怠けたマネージャーがいるときは特に自己マーケティングが大事だと思う。
良いマネージャーがいても、最終的には自分のキャリアや評判は自分で守るべきだよね。
やっぱり高い努力が必要な自己マーケティングだね。頑張ってるって証明できるのは大事だと思う。
自己マーケティングを匂わせると、俺の中での信頼性が下がるな。
企業が自社の製品を宣伝するのはいいけど、個人が自分をマーケティングするのはダメっておかしいよね?
企業も自分のプレゼンが不誠実に見えるとそれはダメだよ。そういうことよ。
いいものなら、臭いなんてしないよな。
あれは言い回しとして無意味だよね。
マーケティングに’ただ’なんて言葉はない。個人でも企業でも。
最近、こんな感じを強く感じてる。ブログを始めたのは楽しんだ仕事の解決策を共有するためなんだ。ついにその記事を公にできて、インタビューの時にブログを読まれて質問されて、労力が報われた気がしたよ。これが就職の一因になったと思う。
ほとんどの’無料’オンライン資源には疑いを持ってる。自身を権威として認識させたいなら、著者中心の内容になっちゃうんだよね。学術の書き方にも似た現象がある。
他人に教えるつもりで書くことが、単に自慢するより効果的に信頼を築く方法なんだ。Andrej Karpathyの評判はそのためだよ。
学術論文は著者の仕事を専門家に示すものだよ。一般の学び手がそれを学びの主軸にするのは違う。
学術論文は著者中心だと思わなかった。複雑なアイデアを読者に伝えるのが本来の目的だ。危機の時に公に無視されるのも納得だよ。
その投稿と君のコメント、数日前に同じのを見た気がするんだが。
ブログを書くことは、信頼性を確立するにはコストがかからない方法だ。後で過去の内容にリンクできるし。ただ、最近は公共のブログがAIに職を奪われる手段にもなってるよね。もう手遅れだけど、ブログは続けよう。
自分の信用を確立する方法についてのコメントだよね。ただ逆の見方もあるよね。
昔、親に無理やり教会の神父の助手をやらされたことを思い出すわ。学校を休んで特別な儀式に参加するのは楽しかったけど、ほとんど人が来ない祭りで空振り感があった。大勢の前でのパフォーマンスをするけど、実際は誰も見てないってね。テクノロジーの世界の僕らも、そんな感じで何かを守ってるのかなって思う。
現代の人と昔の人の信仰の理解に根本的な違いがあるよね。70年代のカトリックミサでは神父が背を向けてラテン語で話してた。今は人々に向かって話すようになった。信仰は以前は神との関係に重きを置いてたけど、今はコミュニティ形成に主眼が置かれてる。これがコメントの理解に影響してるのかも。
あなたのコメントの解釈が違うかもしれないと思う。’The Brothers Karamazov’の修道院の話を例に、他者の注目を求めずに修行している姿に似てると思うんだ。本質的にはほとんどの人は無名のままで、その自己正当化のためにブログを書いてるってことだよ。
現代の成功は虚栄であり、永遠にaimを置くべきだと思う。西洋の思想は、古代ギリシャからこのことを警告しているよ。
もしあなたが神を信じないなら、儀式をするのは何のため?それは自分のためなのか、それともただの習慣なのか?
まあ、そうしない理由はないよね。儀式は結局、自分たちのために行われているものだし。例えば、葬式は生きている人のためにある。
あなたの質問には答えられないけど、無神論者でもあの質問は考えられると思う。信仰はこの質問への明確な答えを提供しないし、結局、儀式が重要な意味を持つのは個人の問題だと思う。
結局、希望の問題だと思う。ブログが将来的に良い結果をもたらすとどれだけ期待できるかだよね。
イタリアでは、そんな理由で学校を休むことはないと思う。必要な経験なんて聞いたことないわ。
カナダのカトリックの私立校に通ってたけど、そんなに厳しくなかったよ。学校のすぐ横に教会があって、授業を抜けて1時間の課外活動ぐらいは全然許可されてた。あんまり神経質な学校って信じられないね。
イタリアのカトリック学校にいたけど、みんなが授業を抜けるのは簡単じゃなかった。遅刻や休暇もめちゃくちゃ嫌われてたから、国によって違うみたい。
一度HNのフロントページに載ったら、アクセスが一気に増えて、自分のサーバがクラッシュしたんだ。あの瞬間は今でも忘れられない。
HNからのトラフィックが自分のブログの最高記録だった。仕事を辞めて記事を書いたら、結構な数の人に読まれた。その時の自分は恥ずかしいけど、10年前の自分が知ってたこともあったし、それを書いたおかげで今が楽しいから、意味はあったよ。
このコメント好き!
これ、ネットのカオスそのものだね!
無料のDDoSリダイレクト練習だ!
技術的なことをブログに記録してるけど、あんまり見られないんだよね。でも再度その情報が必要になったとき、完璧なドキュメントがブログにあるから助かるよ、だって自分で書いたものだからね、ハハハ。
昔はそうしてたけど、今はOneNoteにブログに書いてたことをまとめてるんだ。全デバイスで見れるし、PDFにもエクスポートできるから、誰かに共有するのも楽なんだ。
昔はOneNoteを使ってたけど、同期が下手だし大きなドキュメントを扱うのも難しいことに気づいた。今はObsidianにハマってる。OneNoteのことを考えるだけでゾッとするよ。
俺の経験ではOneNoteの同期はObsidianより信頼性が高いけど、他の理由でObsidianの方が好きなんだよね。
あんまりブログは書かないけど、StackOverflowの回答やgistはいっぱいあるんだ。たまに自分が書いたのを忘れて検索で見つけることがあるよ。
これ、よくあるよね。メモに残すか、ブログ記事にしておくか迷うけど、ブログ書いちゃえば何度でも参照できるから助かる。
俺も同じ。https://softuts.comを作ったのは、技術的な問題の解決策を書くため。でも少しずつトラフィックが増えてきて、同じ問題を解決したい人が助かるなら嬉しいよ。
同じく、色んなトピックでいくつかブログやってて、遭遇した課題をまとめるようにしてる。それがアイデアを定着させるし、過去の経験にも何度も振り返れるんだ。
トラフィックってどのくらいくるの?ローカルにメモするよりブログに書く価値ってある?
よくわからない。収益には繋がらないから、あんまり気にしてないよ。でも他の人を助けられるのが満足だし、どこでも自分が書いた記事を読めるのがいいよね。
だから俺はブログを書くんだよ。ほぼGitHubのgistsみたいなもんで、ネット上で誰でも見れるしな。
自分の技術サポートのためにブログ書いてる。
AIに知識を提供して、他の人にも見つけやすくしてるといいな。
自分の個人用知識ベースを作ってる感じ。
年月が経つにつれて、俺のブログもそんな感じになってきた。
ブログのURL教えてくれない?
多分ここだよね、https://zewaren.net。内容がGPの言ってた通りだ。
結局、トラフィックに関わらず知識を伝えたいってことだよね。だったら自分用だけならDocumentsフォルダでも良くない?
ブラウザの中でGoogleやDuckDuckGo使って情報探せるし、どこでもパーマリンクをシェアできるのがいいんだ。
現代のウィンドウタイルがあるのに、どうしてブラウザから出たくないのかわからないけど、人それぞれの好みは尊重するよ。
たまに誰かが見つけて価値を感じることがあるよね
知識を共有しようっていう意図も大事だよね
でもそれが唯一の理由ってわけじゃないし、彼は知識を共有したくないとも言ってない
そうだけど、意図はあるんだからね
実際のオーディエンスがいると、話すときもパフォーマンスが変わるよね。いいことかもしれないね
遠くにいるときにスマホからPCのドキュメントフォルダにアクセスできないのが辛い
SyncthingとかDropboxを使うといいよ
俺は一週間以上リサーチしてきたことをブログに書くことが多い。それを残して他の人を助けたいんだ。アーカイブに役立つから、昔の情報も残ってるといいな。2025年にはブログ頑張る予定だし、今は色んなもののソリューションを考えてる。公開する時は動く例を含めるようにしてる
Zoteroを使ってる。オフラインで参照できて便利だし、ページのリソースも一つにまとめてくれるんだよね
ブログのリンク教えてくれない?
みんなブログを誰も読まないって話してるけど、自分は人の個人ブログを読むのが大好きなんだ。開発者のいろんなブログをフォローしてて、技術系ブログが多いけど、家庭のこととか個人的なことを書いてるのが好きで、同じように開発と育児を両立させてる人の経験を聞くのが面白い。だから、みんなブログを書き続けてほしい、読んでるかもしれないよ!
賛成!RSSフィードをチェックしてる人もいるよ。ブログの全内容をフィードに載せてくれてると、訪問者が少なくても実際には読んでるし楽しんでる。自分もブログ書いたらMastodonやLinkedInで告知するようにしてる。これがあると、無駄に叫んでる気が減ってやる気が出るよ。たまにいいねやシェアも嬉しいしね!
フォローしてる開発者が知り合いじゃない場合、どうやって見つけるの?
オープンソースプロジェクトの開発者のブログをフォローすることが多いね。面白いプロジェクトがあると、その人のGitHubプロフィールを見て、個人ブログが見つかることがある。
HNのコメント欄やXを見て、その人のRSSフィードをニュースリーダーに追加することが多いよ。
10年以上ブログは誰も読まない前提で書くようにしてきた。SNSからの流入がない今、ブログへのアクセスはHNからだけだけど、書くことで新しいワークフローを考えたり学べるから、誰も読まなくても無駄ではない。
最近はSNSの活発さに対してブログのシェアが少なくなってるって聞くと驚きだよ。たくさんのユーザーがいるサイトがあっても、長文のエッセイやブログはあまりシェアされてない。以前はもっと流入があったのに、今はHNが一番のアクセス元っていうのも変な感じだね。
ネットは中央集権的なプラットフォームが増えて、個人のニッチなサイトが少なくなった。多くのプラットフォームは他のサイトへのリンクを避けるようにしてる。
最近、友達からDMでシェアされる内容は95%が動画ばかりだよ。自分は長文記事をシェアし続けてるけど。
FBを見てみたけど、実際の議論があまりなかったよ。会話が始まると、すぐにお互いの名前を呼ぶだけになって会話が途切れてしまう。シェアはされても外部との繋がりがなくなって、議論が続かないのが不思議だった。
Facebookでもよく見るんだけど、スレッドの上の方はしっかりしたコメントで、下の90%はただの名前呼びみたいなのが多くて、本当にイライラするよ。
ブログは誰も読まないかもしれないから、気軽に書くようにしてる。でも技術や本、アイデアについては、目の前の誰かに話す感じで書くのが楽だし、好きな作家のスタイルをマネしてる。
関連情報:個人ブログの価値についてや、15年続けてる理由、ブログを始めたい友達へのアドバイスがまとめられてる。
ブログが開発者としてのブランディングに役立ってた時代があったよね。Jeff AtwoodのCoding Horrorが思い出される。マジで、ブログで良い仕事を得てたあの頃は良かった。
Jeffのコンテンツは今でも参考にしてる。あれは本当にいい内容だよね。
ブログを書くことがサイドプロジェクトの完了を意味することに気づいた。ブログによって次に進めるし、ある種の区切りにもなる。
その通り!サイドプロジェクトのコストはブログを書くことだって決めてる。それによってプロジェクトの価値が大きくなるから、全然後悔してないよ。
私も同じことしてる!ブログを書くことで、何かを終わらせるって感じがするし、その過程で得られる教訓が次のプロジェクトに活きるんだよね。
その通りだね。サイドプロジェクトについてブログを書くのは、自分の人生の小さな章の最後の句点みたいな感じ。
表面積って大事だよね。つながりを持つために、自分を何かしらアピールするってこと。少しでも興味を持ってくれる人がいるかもしれないし、それが大事だと divorce から学んだ。
体重増えたのを気にしすぎないようにさせる作戦?まあ冗談はさておき、意味のないことを作るのも大事だってことだよね。時間が経てば消えてしまうけど、それが人生だし、誰かに見つけてもらえるかもしれないよ。
オブスキュアなブログからの真のロマンス、読んでみたいな。
ブログのいいところは、考えたことをリンクでまとめられること!読んでくれる人もいるし、いい会話や友達もできたよ。書くのも上達するし、機械にも自分の考えを知ってもらいたい。
ほんとその通り。SNSにもいろいろ書いてるけど、ブログは全部まとめられるし、管理もしやすい。
確かに!SNSでの初稿から拡張することが多いよね。
技術系ブログは多いけど、オブスキュアなトピックについて書く人は少ないよね。純粋な情報を探してる人にとっては困難だと思う。もっと書くべきだよ。
木工に関するTiktokアカウントは多いけど、どれが持続的かは不明だね。
ブログは検索しやすいのがいいよね。情報が欲しい部分だけすぐ見つけられる。
木工YouTubeチャンネルに登録してるけど、もっと文章での情報が欲しいなって思う。
自分のブログは公開されてるけど、個人的なナレッジベースとして使ってるよ。過去に解決した問題が検索結果に出てくるのに驚くことが多い。大学1年の時、先に進んでた科学の授業で、実験の授業中に隣の席の2人が俺のブログを読んでたんだ。
誰にも読まれないことを願って書いてる。内容は悲しくて落ち込むことばかりだけど、書くことで自分を整理してる。ネットに公開する必要はないって言われるけど、普段あまり話さないから書くことで気持ちを残してる。
最近、悲しいことを書いてるけど、メンタルにすごく効果的。書き始めたばかりなんだけど、どのくらい続けてる?あるいはオンラインで公開してる?
ありがとう、助かってるよ。今書いてることは数年続けてる。ブログにはいくつかアップしてるけど、全部じゃない。削除することもあるから、全ては一時的だと思ってる。
削除することがプロセスの一部とはどういうことか説明してもらえる?書いて削除することなんて考えたことなかった。
単に自分がやってることなんだ。全ては一時的で、瞬間的には良いことでも、時には忘れてしまった方が良いこともある。
プロセスを説明してくれてありがとう。書くことで得たものを削除するのはなんか不思議だけど、セラピー効果を感じることもあるんだね。もしよかったら、ブログを教えてほしいな。
ありがとう、でもシェアするのは遠慮したいな。
そうなんだ、またネットで会おうね。
書きたいからブログを書く。技術的なことも非技術的なことも書いてる。自分だけの世界で自由に表現できる、他人も見ることができる空間なんだ。
最近、OpenAIのDeep Researchを使って、研究中のテーマについて聞いたんだけど、俺のブログがその研究に使われてたんだ。最初は戸惑ったけど、記事を読み返したら、忘れてたアイデアが蘇ったんだよね。ブログを書くことで、自分の忘れかけてたアイデアを再発見できるって感じだな。
AIを自分のマシンで使うのは不安だけど、ファイルやアイデアを掘り起こして繋げてくれるのは魅力的だな。
テキストファイルをブログに書くこともできるし、フォーマットを気にする必要もない。検索エンジンも自動でタイトルや説明を生成してくれるよ。俺は数時間前にテキスト“ブログ”を投稿したばかり。
それいいね。レイアウトや色の設定、フォントの設定を気にしなくていいから、すごく手軽に始められる。
そうだね。友達に、ブログは数分じゃなくて数秒で始められるって証明するためにこのテキストブログを作ったんだ。
生成したウェブサイトのbashスクリプトは公開されてるの?このシンプルで早いブログのアプローチが好きなんだよね。
はい、でもリンクはないけどね。これがそのファイルだよ。使い方はこうだよ: ./createfile.sh file_name 、でファイルが作れる。あとはvimで編集して保存すれば公開される。
未来の自分。ブログは自分の成長の時 capsule みたいなものだよね。自分のブログ投稿のほとんどが、自分にとっての大事な資源になっている。たった一人でも、言葉に出会って何かが変わるかもしれない。ブログはカンファレンスより影響力がある。
俺はやっぱりブログに信じてる。始めたい人やプロバイダーを変えたい人のために、最近シンプルなサービスを立ち上げたよ。体験はブログというよりメモを取る感じ。
登録したよ。フリクションレスオンボーディングを実現する“フォーチュンクッキー”がいいね。
ありがと!それ聞けて嬉しいよ。ブログ楽しんでね。
書けば読者が来るってわけではないよ。インターネットには無限にブログがあって、自分のブログは嵐の中のかすかな声みたいなもんさ。でも、自分のブログがアクセスを集めることもあるし、書き続けることで読者も増えていく。
TODOリストアプリの需要って、全人類一人一人に合わせたものが必要で、そこから考えると、自分の考えることには必ず読者がいる可能性があるってことだよ!内容がバズることは少ないかもしれんけど、誰かには響くはず。
書く意味はあるけど、ネットに日記を公開する意味は?自分は人に読んでもらいたくてブログやってるから、興味がなかったら続けてないと思う。
観衆を想定して書くと、自然と内容が変わるのが分かる。最初に誰かに見せるときは特にその感覚が強い。自分だけだと気づけないことがある。
観衆を想定するのはいいのか?自分だけのために作ったものと、観衆を意識したものは果たしてどちらが良いのか。
同感だよ、あまり気にしない性格なので、公共の場でも自分の意見を言える。公表することで、発言がより誠実になるっていうのもある。
自分はあんまり観衆を意識してないかも。ひょっとしたら未来の曾孫たちが自分を読むのかも。でもそれはあまり気にしてない。
そうだね、いいことだよ。相手を意識することで、内容を分かりやすく整理できるし、無駄を省くことができる。だから価値のあることを伝えられるようになる。
それがいいっていうのは、読む人がいない時に考える意味はあるのか?
自分の頭の中の考えを整理するのに役立つんだ。たまには公の場で話してるつもりになって、自分の思考を見つめ直す必要があるよね。
確かにその通りだよ。ノートにデジタルでもアナログでも考えを書き留めて、振り返るのは良いんだけど、誰かに見てもらうことのメリットは何だろうって思う。
書くことで考えを整理できるし、公に発表することでアイデアを絞って伝わりやすくできるよ。自分やテーマについても学びがあるし、ブログを始めるきっかけにもなるんだ。
だからこそ、全てを書いてるんだ。自分の考えを組み立てて、未来の誰かに伝える手助けになるんだよ。ずっと頭の中にあったものを公開すると、スッキリする感じもあるしね。
ブログを書くことで新しい何かが生まれるんだ。意識が宇宙が自分を知る手段なら、自分の真実を表現することでその過程に参加してるってことになるよ。価値を感じるかは別として、面白い考え方だと思う。
すごく美しいコメントだった。ありがとう!
”完成したら、拍手や感謝は作品の一部じゃない。美しい曲を二人に演奏しようが千人に演奏しようが、同じ曲なんだ。”(Seth Godinの言葉)
実際、読んでくれてる人がいるよ。会話の中で、自分の投稿を読んだって言ってもらえるし、メールで反応ももらうことがある。ブログは自分を紹介するための手段でもあるんだ。
フォロワーや人気を得るためだけがブログの目的だとしたら、それは本当のブログじゃないんだよ。ブログは自分を整理したり、考えを深めたりするための一つの手段。文を書くことで自分を見つめ直すことができるよ。
皆さん、訪問者数のカウントについてですが、どうしてますか?自分はArch LinuxでNginxを使ってブログを自己ホストしてるんですが、ほとんどボットしか来ない気がして。訪問者の確認方法について、経験を聞きたいです!
Google Bloggerの数字を見てるけど、実際のユーザーに対しては誇張されてるんじゃないかと思う。でもそれは気にしてない。なんか面倒でコストもかかりそうなので、自己ホスティングには興味ないし、全部一緒のテンプレートでやることにした。
他人のために書くのは教えることと同じで、考えを整理するのに役立つ。読まれるかは運で、予測できない。過去に書いた記事の中には、反響が大きかったものもあれば、小さいものもあるけど、自分のためにやるのが一番だよ。
自分のブログは、記録を残すために始めたもので、他人に読まれるのはオマケみたいなもの。文章を書くことは考えを整理する助けになるし、自分のプロジェクトの進捗を確認する手段になってる。
技術的な記事は未来のためのどうやったらいいかドキュメントで、他は歴史や哲学などの深掘りを楽しんで書いてる。ヒット数は少なくても、自分の趣味として楽しんでるから気にしない。
今はブログを見つけるのが難しくて、Google検索ではいい方法がない。
ooh.directoryという素晴らしいサイトもあるよ。
marginalia-search.comも試してみる価値あり。
ストリートフォトグラフィーもブログと似た面がある。自分の小さなネットの隅っこで、日常のスナップを撮り続けてる。
ブログ記事は面白い人と出会うための長い検索クエリみたいなもの。
整理された考えを書くことは今の時代に大切。未来には、人が考える力を持っていることがより重要になると思う。だから、誰も読まなくても書くこと自体が価値がある。
今のネットってSEOやLLMのゴミが多くて、ブログを書くのが正しいことだと思う。誰かが道に迷ってたら手助けするのと同じで、人気や利益のためじゃなく、純粋に他の人に何かを提供するのが大切だと思う。自分のためだけにやるなら、ブログを書く価値はあまりないよね。Twitterみたいな他の方法の方が効率的だし。
人はちゃんと読んでくれる。それを証明するには長い間努力しないといけないけどね。自分のブログを2019年に始めたんだけど、100記事目を出したのは2023年の中頃。それまで地道に続けたおかげで、やっと少し注目されるようになったんだ。楽しんで書いてるから続けてるけど、長い道のりが辛い人もいるよね。
単純に書くこと自体を楽しむために書くのもアリだよ。書くことそのものが目的で、プロセスを楽しむんだ。
個人のサイトが死んだって言うけど、検索が壊れてるからだと思う。個人サイトがちゃんと見つけられたり、面白いのがフィルタリングされてたら、もっと盛り上がるはず。だから自分のドメインリストを作った。
個人サイトは死んでないよ。自分のサイトはきちんと機能してるし、他の人も同じように持ってる。確かにネット検索は壊れてるけど、KagiやMarginaliaみたいに独立したコンテンツを見つける手助けをするサービスもあるんだ。
Googleにはブログ検索のためのクローズドなガーデンを作ってほしいと思う。AIの時代に、人間の本当の作品を発見するツールになればいいし、良質なブログを上位に持ってくるようにするべき。
それはひどいアイデアだね。クローズドガーデンをGoogleが運営するの?それだと発見できる場所が制限されて、Googleが興味を失ったらすぐに消えちゃうよ。ブログはトラッキングされやすく、本当に良い内容のものが埋もれちゃう。色々問題がありすぎる。
もしGoogle Readerが無くなってなければ、ブログのメタデータは今のLLMの時代に非常に価値があったと思う。まるで使い手のための独自のソーシャルネットワークみたいになったはず。
昔のウェブリングやウェブディレクトリの時代に戻るのもアリだよね。
2000年以降は検索エンジンがブログを見つけるのが難しいって。それならTwitterやHNみたいなSNSの方がまだマシなんじゃない?
LLMが読むから、時間の終わりまで知識のプールに蒸留されるからだよね。
AIにエサを与えるためだよ。冗談はさておき、就職活動の時に役立つものだし、特に候補者を見る時はGithubよりブログを見る方が多いかな。詳しい内容を知るためには、他の人と同じチュートリアルばっかりじゃなくて、自分の知識を使った記事に価値を感じるからね。
意外とブログを読んでる人は多いよ!テック系の場所にいると、知らない人から「ブログ読んでるよ」って言われることもあるし。
5年以上ブログを書いてきたけど、いくつかの結論に達したよ。まず、書くことで自分が成長して学べることが多いし、自分を表現する手段でもある。それに、他の人をインスパイアする力もあるし、ストレスを発散する手段でもある。将来は自分の本も書きたいと思っているから、どんどん頑張るつもり。
自分のために書くべきだよ。未来の自分のためでもなくて、書くこと自体が楽しいからこそ、昔から日記を書いている人が多いんだ。誰かに見られなくても、ブログを書くことで得られるものはいっぱいあるし、それが楽しければいいと思う。
ブログの理由については良い点がたくさんあるね。ここではHTMLやCSSで遊んだり、自分の趣味についての話をするためにこのサイトを作ったんだ。あとは、静的なHTML5/CSS3を使って現代のWebにはないコンテンツを作って、少しでも役に立ちたいと思ってるんだ。
書くことは楽しいからだよ。個人のブログも見てみて!気に入ったら寄付してくれると嬉しいな。
1時間かけて君の投稿を読んでたよ。テックに移行するのがうまくいくといいね!
ありがとう。
Twitterのアカウントを変更してみて。RSSフィードはある?どうやって寄付できるの?最後に、JSがないとブログが使えないのはどうして?投稿がリンクになってないのも気になるよ。
RSSフィード追加したよ!リンクのjavascript問題も直した。
ここで寄付できるよ!RSSフィードはないけど、ニュースレターは登録ボタンから登録できる。投稿がリンクじゃないってどういう意味?詳細ページに飛べないの?Twitterアカウントの何がいけないの?
投稿がリンクじゃないってどういうこと?確かに、あなたのサイトは意味的に間違ってる。
これ直すね、ありがとう!メールアドレス渡すのは面倒ってのも直すよ。
優しく接してくれて嬉しいよ。新しい記事書いたらここに投稿してね。HTMLだけでできることを優先しよう。メールアドレスの収集は法的負担もあるし、静的サイトにすればセキュリティも良くなるよ。
RSSフィード追加したし、ボタンもタグに変えたよ。
ストリート写真の例えがいいね!俺のブログも今の気持ちを反映してる。1年後に読み返すと、昔の自分がどれだけ無知だったか分かる。ブログをリンクしよう!
開発者の世界でブログを書くのが大御所の真似になってる気がする。昔はカジュアルなものだったのに、今はSEOやストーリーを語るための会社ブログになってる。
日記を書くのって健康に良いよね。でも自分のためだけなら、わざわざ公開する必要あるのかな?ただ書けばいいじゃん。
誰かに読まれるかもしれないと思うと、アプローチが変わるよね
仕事でブログやポッドキャストをやってるけど、会社の方針で言えないことが多いのが残念。自分のスペースで自由に表現したいけど、公共の場で書くことは恥ずかしさもある。仕事のために書くのは楽しさが減っちゃう。みんなが自分の楽しみとして発信して、それが仕事に活かされるのがいいと思うよ。読者との約束を大切にするのも大事だね。
ブログを始めようとしても、いつも一、二記事しか書けずに詰まっちゃう。書きたいことはたくさんあるのに、アイデアを出すのが不安で…。その不安をどうやって乗り越えて、実際に発信できるの?
まずはLLMを使ってみなよ。テーマと初期の考えをまとめて、LLMに不安な部分をやらせるといい。スタート地点を作る感じ。アーティストも“白いキャンバス”を恐れて、大きなブラシで適当に描いて、混沌から創作してるよ。
ブログを作っても、それをLLMに利用されてお金持ちの人のためになるだけかもしれないね。
笑ってるかもしれないけど、Chat-GPTの“Deep Research”が俺の技術ブログをよく引用してるよ。引用してくれるだけまだマシで、今後はほとんどの人が俺のブログをLLM経由で見ると思う。
俺も以前、LLMに最近のWikipediaの編集を引用されたことがあって、Wikipediaの影響力の強さを実感したよ。2006年から編集してるけど、最初はオープンソースの百科事典を信用しなかった人も多かったから、どうなるか楽しみだな。
何もお前にクレジットしないけど、ChatGPTは引用されるかもな。もしOpenAIがDeepSeekが彼らの知的財産を盗んでるって言ったら、本当に盗んでるのは誰なの?
冗談だけど、みんな自分のブログがLLMに読まれることを望んでると思う。知識を共有したいと思ってる人が多いと思うし、その知識がLLMに組み込まれるのはいいことだよね。
知識の共有が、今や“ZuckとSammyを豊かにする”ためのものになっちゃったね。
他人が儲かるから何もしないなんて考え方嫌いなんだよね。非商業的なクリエイティブコモンズライセンスに不満があるのもそのせい。
何かをするなと言ったわけじゃない。行動して現代の結果を理解しろってこと。公開するのはいいけど、将来的に正しく引用されないことに驚くなって。AIの冬が終わったらまたブログが注目されるかも。
驚くべきことじゃないよ、そんなのずっと前からあったんだから。これが現代的ってどういうこと?
君にとって現代的じゃないことも、技術に疎い人には新しいことかもしれないよ。
ブログ始めたばかりで、Astro使って簡単にサイト作ったよ。分析は精神的にストレスになるから、気にせずに書くスペースとして使ってる。
SvelteKit使ってGithub Pagesでブログ作ったんだ。CloudFlareを使えば訪問者数がわかるから、プライバシーも守れるし安心。
考えや観察を言葉にするために書くんだ。このブログは自分のソフトを説明してるから、いい宣伝にもなってる。
ここのコメントした人たちは記事を読んでない気がする。著者が言ってるのは、やるべきことをやるってことなんだけど、他の人は意見を求める目的ばかり言ってる。
理由は3つだね。1つ目は詳しい説明が必要なときに便利。2つ目は商業的な仕事の中から得た知見を記録するのに役立つ。3つ目は説明するのが難しいから、時間を置いて読み返すと新たな視点が得られるから。
長い言葉で意見を伝えるのが難しいからブログを書いてる。書くことで深く理解できるし、情報保持にも役立つ。でも読むかどうかはあまり気にしない、特定のポストを見てほしい時はあるけど。
2007年にブログを始めた理由は、特定の文法や設定パラメータを自分自身のために記録しておくためだったんだ。特にコンサルタントとして働いていたときに便利だった。もちろん、マーケティング目的もあるけど、質を重視してるよ。
意外と自分の書いたものが多くの人に読まれたり、影響を受けたって連絡が来ることもある。だからこの記事に完全には同意できないけど、素晴らしい読み物だと思うよ。
自分が学んだ面白いことを記録するためにブログを書いてる。たとえ将来の自分だけが読者でも問題ないし、書くことで理解が深まるのもいいところだね。
誰も読まないと思ってるけど、ブログを書くのはアイディアを探るため。考えが不明瞭なときに整理する場所でもあるし、時々誰かにお勧めすることもある。
書いただけで読者が来るのは神話だと思うけど、推薦エンジンを使えば新しいコンテンツが人目に触れる可能性は高い。最近始めたブログは、軽い宣伝でほぼ100人の購読者を獲得したよ。
仮にブログが森林の中で誰も読まなくても、書くことには意味があると思う。考えを整理するのに非常に有効だから。
コメントを書く人は自動的に選ばれた人たちで、自己選択バイアスに気づくべきだよね。
ブログは自分が何かを学ぶための手段だよ。調べて考えることで、知識が増えるし、書くことで表現力も上がるから、読者が少なくても気にしない。
エラーを記録して後でブログにまとめたいけど、問題解決中にどうやって記録すればいいのかわからない。
個人的にはデバッグ日誌をテキストファイルで管理してる。この方法なら、問題解決の流れを乱すことなく記録できるし、後でまとめやすいと思う。